1999.6
Vol.03


今までのレポートはここです

私、神谷まさひろは1997年(社)刈谷青年会議所(JC)の理事長をさせていただきました。 そしてその翌年の春、榎並邦夫市長より「幅広い市民の皆様の声を聞いて市政運営の参考にしたいから」という申し出があり、30代の若者の代表として、市長さんと刈谷のまちづくりについて対談するチャンスを得ました。 私の今回のキャッチフレーズであります『市民主導のまちづくり』という点について、既にこの時点で触れていますので、今回のコロンブスレポートVol.3ではその対談の模様をお伝えしようと思います。

えなみ邦夫市長と神谷まさひろのまちづくり対談!

市長 神谷さん、昨年一年間は青年会議所の理事長としてのご活躍大変お疲れ様でした。特に昨年はJCを行動的政策集団と位置付けて、市民会議を初めとした私ども行政に対しての各種の政策提言や、具体的なまちづくり運動といった形で、これまでのJC運動にくらべて一歩踏み込んだまちづくり運動を展開してみえたように思うのですが。
神谷 市長さんには昨年一年間、私どもJC運動に対して格別のご理解とご支援を賜りまして誠にありがとうございました。 確かに只今市長さんの言われた通り、自分としてはこれまでの運動より一歩踏み込んだように思っています。
市長 やはり意識的に一歩踏み込んだ運動をしてみえたわけですか。 それはどのような考えからですか。
神谷 全国のJC運動の流れも同じ様な方向にあるのですが。 『行政主導のまちづくり』から『市民主導のまちづくり』へ変えていこうという運動の流れがあります。
市長 もう少し具体的に話してくれますか。
神谷 私が理事長をする2年前の1995年に起こった阪神・淡路大震災が、私ども日本青年会議所の運動の方向性を大きく変えたと思っています。
市長 と言うと。
神谷 私ども刈谷JCも復旧ボランティアとして西ノ宮の地へ駆け付けたのですが、そこで目にしたものは、建物が崩壊した悲惨な町並みと同時に、この非常時にこれまでの行政主導の社会システムが全く機能しない現実でした。 その代わりに復興にむけて大きな力になったのは、避難所の不安な生活の中で、互いに励まし合い、助け合い、支え合うという人間関係であり、コミュニティーの絆でした。 そしてそこで気付いたことは、真のまちづくりとは行政まかせでなく、そこにすむ人々が自分たちの生活の中から出発して、自分自身で意見を出して実践して行くべきものだという考え方です。
市長 それが市民主導という考え方の基本になっているのですね。
神谷 そうです。 そして今後くる超高齢社会の到来を考えた時、これまでの行政システムではとても対応できないことが平常時にも起きてくるのだと思います。 たとえば、お年寄りの介護の問題や、ゴミ問題のような身近な環境問題については、画一的な施策ではなく、それぞれの地域の特性や、家庭の事情に合わせ、きめこまやかで多様性に富んだ施策が必要になってくると思います。
市長 確かに行政は基本的には公平性や平等生を求められますが、これからの高齢化社会を考えた時には、多様性のあるサービスが必要になってきますよね。
神谷 その際に大切なのは、そこで暮らす市民一人ひとりの目の高さでの施策だと思います。 いわば生活者としての視点だと思います。 そこで市民会議という手法を使って、生活者の視点での刈谷のまちづくりに対して政策提言を行なって来ました。
市長 私も幾度か参加させていただき、報告書も見せていただきましたが「ケナフを使った環境教育の実施」とか「アイドリングストップ運動の推進」や「スポーツを通したまちづくり」など興味深い提案もあり、現在刈谷市の施策の中で参考にさせていただいているものも数多くあります。
神谷 ありがとうございます。 でも私は、市民会議のメンバーやJCメンバーには申し上げたのですが、単に行政に対する政策提言をするだけで終わらせてはだめだと思っています。 自ら実践できるものは実践したり、政策の実現のために働き掛けをすること、つまり具体的に行動することが大切なのだと思います。
市長 その通りですね。 市政を預かる私にとってはとても力強いご意見です。
神谷 町に対して関心をもち、行政に対して政策提言をし、そして自らも行動するといった、市民ひとり一人のまちづくりへの参画意識を高めて行くことがまず大切なのだと思います。
市長 私どもとしても、市民の皆様の生の声をできるだけ施策の中で反映させて行きたいと思っています。
神谷 ありがとうございます。 市民のまちづくりに参加して行こうという意識がいくら高まっても、その声を聞いていただく行政側のしくみがなければ、その意識もいつしか萎んでしまうと思いますので、ぜひその点は市長さんにお願いしたいと思います。
市長 JCとしてはその他にどんなことを手掛けて来たのですか。
神谷 皆様が一番よく知っている事業としては、わんさかまつりだと思います。 残念ながら昨年は雨で途中までで中止となってしまいましたが。
市長 本当に残念でしたね。 特に昨年は、市民ボランティアのみなさんの企画を大切にしていこうということで、企画委員会を神谷さんに作っていただいて、お化け屋敷なども予定していたのに、天候には勝てませんね。
神谷 その他、昨年より碧海市構想を勉強したり、市民の皆様とそのテーマについて考えて行く委員会である『広域行政特別委員会』をもうけました。 その結果昨年の総会において刈谷JCとしては「碧海市構想を推進して行く」という決議がされ、本年神野理事長の下、具体的な事業として受け継がれています。
市長 ところで神谷さんは、魚勉さんという食品会社を経営されている傍ら、JC運動のようなまちづくり運動に積極的に関わっておみえになりますが、神谷さんをまちづくり運動に駆り立てる原動力は何ですか。
神谷 私は生まれ育ち今も暮らしているこの刈谷のまちが大好きです。 だから、若さと行動力で新しい刈谷の未来を作りたいと思いますし、刈谷の発展は我々若者に託されているのだと、という気概を持っています。 自分たちの将来、そして自分の子供達に豊かな社会を残すために、努力して行きたいと思っています。
市長 大変心強い限りです。 神谷さんのような若者が今後も増えていくことを期待しています。 また、皆様方の行動力が刈谷の未来にプラスになるよう、私たち行政を預かる者も積極的に応援して行きたいと考えています。 これからもガンバッテ下さい。

ボランティア募集中!

今、私たちといっしょになって活動をしてくれる人を募集しています。 
これからのまちづくりをみんなで考え創っていこう!

連絡先=23-0344
神谷まさひろ後援会事務所まで

歩き始めて4ヶ月   ―――今思うこと―――

 、神谷まさひろは今年の2月23日に立ち上がる決意を固め、これまでの約4ヶ月、多くの皆様方に私の考えや私自身を知っていただくためにあちらこちらを歩いています。
 先日おじゃました私の後援会に入会いただいている方のお宅では、私が訪ねると、腰の曲がったお婆さんが玄関まで出て見えて、こんな話をして下さいました。

「最近背骨が曲がってしまって、痛くて仕方がない。 買い物に行くのも大変で。 昔はこの近くも商店が賑わっていて、ちょっと歩けば八百屋さんに行けたのに。 今では店を閉めてしまって、遠くのヨーカドーまで行かなならん。 わしら年寄りには大変ですわ。」

さらに続けて聞いて行くと

「私には96歳になる寝たっきりの母がいるんだわ。 この母のことを考えると、私が病気なんかになっとれんのだわ。 今はまだいいけれど、今後どんなことでお世話になるかもしれんので、その時は神谷さんよろしくお願いしますよ。」

 70才のお年寄りが96才になるお年寄りの母親の介護をしている現実。

 私はこの4ヶ月、少しでも多くの方に自分自身を知ってもらいたくて歩いてきたつもりでした。しかし、実際はそこで暮らす方々の生の声や、地域や家庭の事情を教えられたような気がします。 我々若者はややもすると響きのいい『まちづくり』や『再開発』といった華やかな事や、本で勉強したようなことに目をとらわれがちですが、現実はもっと厳しいものだということを教えられました。 この4ヶ月の経験を生かして若者らしく夢に向かって走り続けるとともに、今後も地に足をつけた地道で堅実な活動を、皆様方の声の代弁者として続けていこうと改めて決意しています。

神谷まさひろ座右の銘
【生きているということは誰かにお世話になっていること
生きていくということはそれをお返ししていくこと】