東陽町ホンネの日記    

今までの日記はこちらです。

 

■□■ 2004年1月 ■□■

2004年1月31日(土)

 

 後援会主催の『伊勢神宮初詣』を行いました。

 総勢141名、バス4台での事業です。今年は私の後援会単独での開催でなく、酒井やすゆき県議の後援会と共催で、自民クラブの議員5名と同時に行いました。

 総勢約700名、バス18台、昼食会場ではそれぞれの挨拶の後、鏡開きと乾杯、全員が一斉に食事という進行です。司会は自民クラブの近藤会長、こういった場面での司会はとても上手にされます。

 天候にも恵まれ無事に開催することができました。


2004年1月29日(木)

 

 刈谷市防災会議に出席。『刈谷市地域防災計画の修正(案)』など2議案が審議された後、『刈谷市地震対策アクションプラン』などの報告がされました。

 『刈谷市地震対策アクションプラン』は「予防計画」「応急計画」「復旧・復興計画」について23項目の対策アクションが定められており、各課に跨っての全庁的な取り組みとなっています。

 その中で私も帰宅困難者対策について質問させて頂きました。現在県が設置している『帰宅困難者支援対策協議会』に参加をし検討しているとのことで、今後その検討内容を刈谷市としての具体的なアクションプランにしてゆくとのことでした。また、刈谷市において想定されている帰宅困難者は約32000人とのことでした。

 夜は、『碧海辻立ち議連(仮称)』の新年会に参加。

 昨年の衆議院選挙以降始めての顔合わせのため、もっぱらこの地域から選出されている二人の代議士の政治姿勢の違いについて議論がされました。

 また、先の12月議会で陳情として提出された合併協議会設置についての対応で、刈谷市だけが趣旨採択となってしまったため、その議論になった時には小さくなって話に加わっていました(苦笑)

 そのほか色々な話題で、6時から10時まで話が尽きることなく行われました。最後はお店の方に「もうぼちぼち閉店ですので・・・」と促され、お開きになったのですが、もし許されるのならば明日の朝まで話し込んでいるほどの勢いでした。

 毎回この集まりは、他のメンバーに刺激され議員としての元気をもらいます。

 帰りのJRの中、知立市議の林いくおさんが、「このメンバーの共通点は街頭演説をしている若い市議会議員ということ以外に、それぞれHPで情報を有権者に発信しているということもありますね。そしてその中で皆さん日記を付けている。今日の事は皆さんどのように書かれるのかなぁ」と言われました。確かに皆さんHPを充実させ、その中で日記を公開しています。ぜひ一度覗いてみてください。

知立市議 林いくお  http://www.yumecity.com/
安城市議 永田あつし  http://www10.ocn.ne.jp/~naganet/
安城市議 石上まこと  http://homepage3.nifty.com/ishigami/


2004年1月28日(水)

 

 安城養護学校に子どもさんが通っている方より、『安城養護学校のマンモス化を早期に解消させる請願書』の署名活動への協力をお願いされました。

 3年前にも同様の署名活動のお手伝いをさせて頂きました。当時「もうすぐ400名を越える児童生徒数になってしまう。」と言っていたのですが、今回は「来年度は450名を越えてしまう。」という状況です。

 なぜ県はもっと誠意を持って対応しないのか不思議でなりません。学校を新たに作るということは一朝一夕には実現しませんが、毎回要望している『スクールバスの増車』は、予算措置さえすれば直ぐにでも実現可能だと思うのですが・・・

 「今回もぜひ協力させて頂こう!」という前向きな思いで、用紙を数枚戴いたのですが、実は『請願項目』を見て少し悩んでしまいました。

 「安城養護学校のマンモス化を早期に解消すること」は大賛成なのですが、そのための手段として、『岡崎地域に、新たな知的障害児の養護学校を建設してください』という請願項目になっていました。

 確かにそうすれば、「安城養護学校のマンモス化を早期に解消すること」にはなるのですが、もう一つの問題点である「車いすの子ども達が片道1時間30分もかけて学校に通わなければならない」という長距離通学は解消されません。

 また、安城養護学校のマンモス化が解消したことで、私ども自民クラブとして要望している「刈谷市内への養護学校建設」といった目標の実現が難しくなってしまうのではないかと危惧しています。

 目指すべき方向は同じなのですが、その手段の違いからのジレンマを感じています。もう少し考えてから対応しようと思います。


2004年1月25日(日)

 

 市民会館アイリスホールで行われた『平成15年度刈谷市子ども会大会』の第1部に出席した後、エルシティ・アピタ前で街頭演説。

 先日視察した3つの自治体の事例を紹介しながら、「これらの事柄は刈谷市においても不可能ではない。そのことを具体的数字を示しながら3月議会の一般質問で市当局に提案していきます。」との演説をしました。

 早くも3月議会一般質問の練習ができました。改選以後49回目の街頭演説です。


2004年1月23日(金)

 

 議会開会中ではありませんが、文教委員会が行われました。

 双葉小学校と朝日小学校の学区変更問題について、先日行ったアンケートの結果報告をするということで開催されたものです。

 対象となるPTAが多数傍聴する中で行われました。帰りに傍聴者の一人に「神谷議員はどう思われます」と聞かれたので、「私は安部委員の発言と同じ考えです」と答えました。

 今回なぜ学区の変更を行わねばならないのか・・・・。市当局はどちらかというと「地元からの要望のため」という理由を挙げるけれども、そんなことを言うからPTAの声として「地元でそんな声があることは始めて知った。地元の人は誰もそんなことは望んでいません」ということになってしまうのだと思います。

 事実は「地元の一部の人の要望があった」ということであり、本来の理由は「双葉小学校がマンモス化して、数年後には教室不足が予想されるから」ということだと私は認識しています。

 そしてその解決策として、1.校舎の増築・改築(高層化) 2.分校の開校 3.新たな小学校の新設 4.学区の変更などを検討した結果、費用対効果・実現までの時間・敷地などの現実的な難しさなどを考慮し、ベストではないけれどベターな解決策として4.学区の変更を決めた・・・ということであると思います。

 その事への協力と理解を父兄に求め、今後検討会議の中で「不安である」という問題点の解決策を見いだして行くことが大切であると思います。

 傍聴者の一人が帰り際に言われた「私達はどうしても学区変更は嫌だとダダをこねているわけではありません。」といった言葉が印象的です。正確な情報できちんと話し合いをすれば、今回のボタンの掛け違いは解決すると思っています。


2004年1月22日(木)

 

 20日~22日まで、自民クラブのメンバー10名で行政視察に行って来ました。

 視察内容については、今後事務局にも提出する『視察所感』で報告するとして、この日記では天候にまつわるどたばたについて書いておきます。

 初日はとても良い天気でした。東京都杉並区に向かう途中の新幹線からは綺麗に富士山を眺めることが出来ました。

 2日目、羽田から福岡に向かった飛行機内で「福岡空港天候悪化のため、着陸できずに上空での待機を管制塔より命じられています」とのアナウンスが入り、玄界灘上空で暫く旋回。結局1時間近く遅れて福岡空港に到着。次の新幹線との接続時間は昼食時間として1時間取ってあったのですが、その時間分が無くなってしまい、駅弁を買って乗車時間18分の新幹線内で食べることになりました。

 夜は、ものすごい寒さ(エアコンがほとんど効かない)と関門海峡を吹く強い風の音でほとんど眠ることができませんでした。余りの寒さのためセーターを着てベットに。

 3日目、前が見えないほどの吹雪の影響で在来線はパニック状態でした。なかなか来ない電車を雪に降られながらホームで待つこと30分。結局、予定していた新幹線との接続が出来ずに、急遽他の新幹線への変更のため窓口に。団体割引切符であるため他の新幹線指定席に変更することが出来ずに、自由席で姫路まで移動。姫路到着が予定より約1時間20分遅れてしまいました。

 しかし、ここでも昼食時間の短縮と、姫路~三木市の間での時間短縮、視察先での時間延長などにより、視察時間だけはほぼ予定道り確保することができました。

 今回、天候の影響で移動には苦労しましたが、3箇所の視察内容はいづれも勉強・参考になるものでした。次の3月議会の中で「他の自治体ではこのようにして実現できているのだ、それより財政的に豊かな刈谷市ならその気にさえなればやれる!」という論調で、今回の視察内容を生かした一般質問を行うつもりです。


2004年1月20日(火)

 

 現在1月20日(火)の朝4時、今日は一日が終わっての日記ではなく、朝一番の日記を書いています。

 今日から22日(木)までの3日間、政務調査費を使っての行政視察に行って来ます。

 東京都杉並区・山口県下関市・兵庫県三木市の3箇所、東へ西へと非常にハードなスケジュールで移動するだけでも大変ですが、大切なのはその中身部分です。有意義な3日間にしたいと思います。


2004年1月19日(月)

 

 昨日安城市議会議員の石上まことさんから電話を頂いて、『碧海辻立ち議連(自称)の新年情報交換会』の日程が決まりました。

 この会は、日頃から街頭演説(辻説法)を政治活動の1つとして取り入れている碧海地域の議員が集まって情報交換をする中で、「あいつも頑張っているので俺も負けてはおれないな」という刺激を受けたり、互いの活動の中で参考になることがあったら真似をさせてもらったりと、有意義な話し合い(飲み会)を行っている会です。

 といっても、組織や規約があるわけでなく、だれかが気が向いた時に声を掛けて集まっています。従って『碧海辻立ち議連』という名称も私が勝手に言っているだけで、だれもそんなことを思っていなくて、「単なる飲み会」と思っているのかもしれません。

 政党も自民党と民主党に分かれていますが、共通していることは市議会議員としてものすごく一生懸命やっている若い議員であるということです。

 次回開催日は1月29日・・・今から楽しみです。


2004年1月18日(日)

 

 早朝6時に三重県の青山を発って、約1時間15分で自宅に帰ってきました。伊勢湾岸道路が東名阪と繋いだため三重県の亀山・津・久居方面がものすごく近くなりました。

 10時から知立の藤田屋さんで行われた『竹内舞踊研究会の舞初』に出席。昨日からどうも胃腸の調子が悪く(胃腸風邪のようです・・)、また車で出かけたので、今日は酒を辞退してもっぱらウーロン茶を飲んでの懇親会でした。

 終了後は恒例の街頭演説を2箇所で行いました。

 先の『竹内舞踊研究会の舞初・懇親会』の席で「神谷さんはあちらこちらで街頭演説頑張っているわね」と沢山の方に褒めて頂きましたので、こんな日は何があってもやらなければならんでしょう。

 それほど寒くもなく、沢山の方に声を掛けて頂いて、嬉しい街頭演説となりました。


2004年1月17日(土)

 

 豊明にあります藤田保健衛生大学病院の関係者で作る『藤田会』の新年会のため、三重県の青山高原CCに雪を心配しながら出かけました。

 ゴルフ場のロッジで新年会を行い、一泊した後明日コンペを行うという予定です。しかし、私は明日朝の10時には知立に行かなければならないため、明日のゴルフには参加せず、宿泊して明日の早朝帰る予定にしての参加です。

 2ヶ月に1回開催しているこの会は、普段はゴルフコンペだけなのですが、毎年1月だけは新年会を兼ねて泊まりで行っています。

 今回は私が幹事ということで、どうしても欠席するわけにいかず、無理をお願いしてこのような形での参加となりました。

 この会でありがたいのは、この会がなければ絶対に話す機会のない(それどころか近づくこともできないかも)藤田学園の山路理事長や名誉教授の梅田先生と気楽に話が出来ることです。

 今回は81歳の梅田先生と「医学の力と神様の力」といった内容でじっくり話ができました。

 「医学の力が、神様の思し召しとしての寿命の世界にまで入り込んでいいのか」という内容で、「医学も究極は宗教・哲学の世界だなぁ」と感じさせる話でした。


2004年1月16日(金)

 

 愛車の調子が悪いのでディーラーで見てもらったところ、修理に約20万円必要との回答が返ってきました。

 平成6年から既に10万キロ以上乗っているので、あちらこちらにガタが来るのは仕方のないことですが、さすがに20万円の出費は痛すぎます。

 「新車に変えたら」という人もいるのですが、私はあまり車には無頓着なせいか、「どうしても新車が欲しい」という気持ちになりません、むしろ「まだまだ乗られるのに買い換えるなんてもったいない」という思いです。

 そこで思い切って「ここで大規模修理を行って20万キロまで乗り尽くそう!」という覚悟を決めました。

 「それにしても、20万円の出費はきつい!」


2004年1月14日(水)

 

  このHP『東陽町本音の日記』をご覧頂いている方より、「日記のコーナーが始まった頃は、本音で書かれているような気がしたが、最近は『見せる日記』に変わってしまったように感じる」との指摘がありました。

 指摘をされて改めて私も読み返してみましたが、確かに最初の頃の方が、「本音」で書かれているような気がしました。

 特に何があったというわけではありませんが、以前は断定調の書き方だったのが、今では「ですます調」に変わっていることも、「見せる日記」に変わったようなイメージになるのかなぁ とも感じています。

 いずれにしても、あらゆる事に初心を忘れず本音でぶつかっていくようにしなくては・・・と改めて感じました。

 夕方、以前このコーナーでも紹介した筋ジストロフィーという病気と闘っているNさんから電話がありました。明日、刈谷市役所の担当者がわざわざ鈴鹿の療養所まで出向いて、在宅となった場合の病院としての支援体制を相談してくださるとのことです。この件では市役所の担当者も本当に一生懸命取り組んで下さっています。

 約30分間の彼との電話の中で、このような重い病気と闘っていても前向きに生きてゆこうとする彼の精神力には頭がさがりました。電話をしながら思わず涙ぐんでしまいました。彼の前向きに生きようとする志と予算という現実とのはざまで、担当者もとても辛いところだと思います。彼の望みが叶えられるよう議員という立場でできる最大限の支援をしてゆこうと思います。


2004年1月12日(月)

 

 NHKの『青春メッセージ ’04』と中京テレビの『全国高校サッカー選手権大会・決勝』に感動しました。

 どちらも同じ時間帯に放映されていたので、リモコンを手にしチャンネルを何度も変えながら、部分的ではありましたが両方とも見ていました。

 共通しているのは、「何事にも一生懸命取り組んでいる姿は美しい」ということです。

 成人の日の今日、爽やかな若者の姿に学びました・・・


2004年1月11日(日)

 

 北風が強く非常に寒い一日でした。まさひろの一日を時間を追って紹介しますと・・・

AM8:00~
桜区ウォーキング同好会の皆様と約4㎞のウォーキング
毎週空き缶を拾いながら約1時間歩いています。
AM10:00~
煎茶道売茶流 嶺仙会の初煎会に出席
本当は心を落ち着けてゆっくり頂かなければいけないのでしょうが、時間がないので、挨拶をして一煎だけ頂いて約20分で退席。失礼しました。
AM10:45~
衣浦東部広域連合消防局の消防出初式に出席
昨年4月に衣浦東部広域連合となって初めての出初式です。来賓として挨拶された鈴木政二参議院議員の「歴史的な出初式」という言葉がとても印象的でした。寒風吹きすさぶ中、隊員の皆様にはお疲れさまでした。
PM1:30~
体育館で行われた『新成人の集い』に出席
新成人自身で構成する実行委員会に企画・運営を任せて行うようになってから数年経ちますが、このスタイルがすっかり定着してきました。まるで『大同窓会』のようです。久しぶりに会った同級生ですので、懐かしさに話が弾むのは仕方のないことであると思います。それでも1つだけ気になった点が・・・それは『恩師ビデオレター』の中で先生方があまりにふざけすぎていることです。アルコールを飲みながら友達のような感覚で「成人おめでとう」とビデオに向かって喋っている姿は見ていて情けなくなります。先生自身をも軽いものにしていますし、成人という人生の大きな節目を迎えた彼らに対してあまりにもバカにしていると思います。ここはもう少し威厳をもって恩師として彼らに語ってあげて欲しかったと思います。一緒に見ていた私と同世代の議員仲間にも同じような意見を持つ方がいらっしゃいました。我々のような比較的若い者でもそのように感じたのですから、もう少し年輩の方にとつては尚更そのように感じたのではないかと思います。
PM3:00~
エルシティとアピタ前で街頭演説
看板が風で倒れないように手で押さえながら行いました。これだけ寒いと唇が麻痺してきてあまり長時間喋っていられなくなります。始める前は「今日は風が強いので街頭演説は中止しよう」という考えが頭をよぎったのですが、結果的には『弱い心』に負けずに行って良かったと思います。改選以後45回目の街頭演説でした。
PM6:00~
さくら少年野球団の新年会に出席
市議会議員としてよりも団員の父親として出席したつもりでしたが、挨拶をさせて頂く機会を頂きました。「学校・地域・家庭が連携しての教育ということが最近言われるようになってきたが、30年も前からボランティアとしてそのことを実践されている外山監督以下スタッフの皆様には頭が下がります。」という趣旨の挨拶をしました。それにしても、私の挨拶は酒の席でも堅いなぁ(苦笑い)

2004年1月10日(土)

 

 エルシティ・アピタ前としては今年初となる街頭演説を行いました。

 「今日は皆さん聞いてくださっているな」という印象でした。立ち止まって聞いていなくても、歩きながらでも意識して聞いているかどうかはだいたい判るものです。

 また、アピタ前ではみかんの差し入れを頂いたり、高校時代の同級生が話しかけてくださったりしました(25年ぶりにお会いする女性です)。そのほか沢山の方に声を掛けて頂いて、とても嬉しい街頭演説となりました。

 愛知県選挙管理委員会に提出する『平成15年分の政治団体の収支報告書』を作成しました。3月31日(水)が締め切りですので、もっと後からでもいいのですが、「仕事に追われるのではなく、仕事を追ってゆくようにしたい」と思い、今年は早くから完成させました。

 何事にもその姿勢で臨みたいものです。


2004年1月8日(木)

 

 1月20日から自民クラブのメンバーで行く政務調査の行程が決まりました。

 平成16年度の予算要望をまとめる過程に出された意見を参考に、皆さんからの希望を最大限取り入れて組み立てたところ、1日目東京都杉並区・2日目山口県下関市・3日目兵庫県三木市という、移動距離の長いハードな計画になってしまいました。43歳の体力を考えて組み立ててしまったため、先輩方には申し訳なかったかなと思います。

 杉並区では『青少年センター』を、下関では『電子入札制度』について、三木市では『市立の養護学校』と、全て今の刈谷市にはない施設であったり、行われていないことを調査してきます。

 この3つの調査項目は、先の予算要望をする際の議論の中で、それぞれの必要性について活発な意見交換がされたものです。本当に必要な物か、そのメリットは、必要ならばその実現に際しての問題点は、コストはどの程度掛かるのか・・・・。

 公費を使っての政務調査です。必ずや意義あるものにします。


2004年1月7日(水)

 

 コロンブスレポートVol. 22の『インターネット市議会』のコーナーで皆様にお尋ねしている2つのテーマについて、沢山の方よりご意見を頂いています。

 学童保育の有料化はほとんどの方が賛成。税務署の跡地の利用方法についても、「青葉保育園を移設してはどうか」という私の意見に大多数の方が賛成してくださっています。

 特に、青葉保育園の移設について私は、「青葉福祉センターの駐車場不足解消のため」という理由を挙げていたのですが、それ以外に私が気づかなかった視点での理由を挙げられた方がみえました。

 それは、「現在の青葉保育園は“青空が狭い”狭すぎる(南にJR電線、北も西も東もビル!)。 よって、保育園は移転して子供が好きな“青空の広い場所”に移すべき」というものです。

 そう言われて改めて青葉保育園に行ってみると、『青空が狭い』という指摘を実感します。4階建ての建物の中に保育園があるということも影響しているのかもしれません。

 結論は同じであっても、物の見方の多様性には勉強させられます(*^-^)


2004年1月6日(火)

 

 グリンピア昼市会場で今年初の街頭演説を1時間行いました。

 皆さんお正月にお金を使いすぎたのか、昼の特売にしてはお客さんの数が若干少な目でした。

 今から5年前の平成11年2月に始めて街頭演説をしたのも、このグリンピアさんの昼市会場でした。当時はまだ議員でなかったため「どこかの変わり者が何か喋っている」と思われていたかもしれません。それに比べ今は沢山の方に認識してもらえるようになり(話の内容まできちんと判って頂けているかは疑問ですが)、本当にありがたい状態でやらせて頂いています。

 生まれて始めて街頭演説を行った場所から、今年の街頭演説はスタートしました。


2004年1月5日(月)

 

 今日から市役所も仕事始め。

 私も11時頃から新年の挨拶に伺いました。昼食時を挟んで市役所内全ての部署に伺ったのですが、普段と違うことに1つ気づきました。それは、昼食に出前を取って食べている方が多いことです。寿司・うなぎがほとんどですが、年末の仕事納めと年始の仕事始めの時は出前を取ることが恒例とのことです。

 障害福祉課ではたっぷり時間を取って話をしました。昨年末から宿題になっている支援費制度におけるヘルパーの支給量について担当者と話をしました。

 今回取り組もうとしている「施設を出て家庭(地域)で自立をする」という考え方は、正に支援費制度の理念に合っているので、担当者としてもなんとかしたいとのことでした。しかし高額な予算が必要なこともあり、『理想や理念』と『現実』との間で非常に難しい判断だと思います。

 「刈谷市の障害者福祉に対するスタンスが試されている」と言っても過言ではないと思います。


2004年1月4日(日)

 

 正月三が日も終わり、今日からぼちぼち始動し始めるところもあります。

 朝9時から『さくら少年野球団の練習始め式』に出席、小学生を前に新年の挨拶をさせて頂きました。

 「何かの理由で練習を一度休んでしまうと、次からも休む理由を自分の中で探してしまう。苦しい時に逃げてはだめだ、逃げるから益々苦しくなるんだ。練習をして野球の技術を磨くことも大切だが、苦しさから逃げない強い心を作ることも大切」このような内容の挨拶をしました。

 小3の息子も団員の一人としてこの話を聞いていました。家に帰ってから「お父さんの今日の話は判ったか? どんな内容だったか言ってみろ」と尋ねたところ、ポイントをきちんと押さえた的確な答えが返ってきたので、「子供達にも内容が通じたな」と安心しました。

 小学生に話す挨拶はどうも苦手です・・・・。

 その後11時からは、『小山市民館の鏡開き』に出席。地区役員と来賓で総勢60名で毎年1月4日に行われています。

 大村代議士が挨拶の中、「今年の干支は『さる』です。漢字で書く『申』という字に『にんべん』を付けると『伸』という字になります、今年はぜひ色々な分野で伸びる一年にしたいと思います。」と話されました。なるほど、『雑学アラカルト』としていただきです。



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