今までの日記はこちらです。

 

■□■ 2003年3月 ■□■

2003年3月29日(土)

 

 「3月に入るとなんとなく道路工事が増えるような気がする」という声をよく耳にします。先日も私の所に、そのような内容のメールが届きました。

 結構多くの方が感じている疑問であると思いますので、その方への答をこの日記のコーナーでも紹介したいと思います。


(問)
 3月に入り、刈谷市のいたるところで、小工事の連続ですね。まさに予算消化のためといわれても、おかしくないと市民が怒っています。

(答)
 市の会計年度の関係で、新年度が始まりますと、事業の年間計画をたて実施しておりますが、発注は事業が年度末までに完了するよう、事業費の大きい事業から発注し、年度末には、すべての工事が完了するようにしている関係から、比較的規模の小さい工事は、発注が遅くなる傾向にあるようです。決して予算消化のためではないそうですし、実際その通りだと私も思います。


(問)
 加えて、完成検査不十分なため、工事後の道路が凸凹で歩道を自転車で通りにくいところもあります。修正可能なうちに修正願います。

(答)
 下水道工事や水道工事、ガス工事などは、生活道路や歩道に管を埋設することは多いため、日常生活への支障を出きる限り少なくするために、管を埋設後、一旦路面を仮に復旧し、地盤が安定してから本復旧しているようです。仮復旧時には、多少の凹凸が生じますが、今回のご指摘はこの状態の時のものではないかと思います。この状態では、まだ完了検査はしていません。ご指摘の場所を具体的に教えていただければ、現地を確認して改めて尋ねてみますので、よろしかったらお知らせください。
 


 市当局の仕事を市民の方々に理解していただくように努め、市民と行政とが協力したまちづくりができるように、両者の間の橋渡し役をすることも我々議員の仕事であると思います。

2003年3月26日(水)

 

 今日市役所では、4月からの人事異動が発表されました。

 私にはこの『人事異動』の経験がないので、その気持は良く判りませんが、人によっては今日は家族で『お祝いパーティー』などをする人もいるのでしょうか???

 「この事柄はどなたのところに聞きに行けば良いのか・・・」、顔と役職がやっと一致した頃にこうして異動があると、私としてはまたまたこんがらがってしまいます。

2003年3月25日(火)

 

 3月議会が本日で終了しました。

 デポジット制に関する請願を提出した方が傍聴に来られていましたが、特に質問意見等もなく淡々と採決されたことで、何かあっけなく感じられたのではないかと思います。

 全会派の代表が紹介議員となり、委員会で全会一致で承認されていますので、本会議での採決はこんな感じの淡々としたものになります。

 夕方からは、退職される部長以上の方の送別会を兼ねた議員親睦会が行われました。

 昭和36年に市役所に入られたとのこと。私が生きてきた年数と同じだけ、職員として刈谷市の発展に貢献されたわけですので、心から「長い間お疲れ様でした。ありがとうございました。」と申し上げたいと思います。

2003年3月24日(月)

 

 予算審査特別委員会が開催されました。

 それぞれの分科会で審議してきた内容を委員長が報告するのですが、今回は忙しくて他の委員会を傍聴することができなかったので、この場で委員長報告を聞くと、どの分科会も非常に活発な議論がされていた様子が判ります。

 昼からは、後援会入会案内パンフのための写真撮りを行いました。他の議員からは「今ごろ写真を撮っているとは余裕だね」と冷やかされてしまいましたが、今回の選挙は『4年間の活動に対する通知表を戴く選挙』と思っていますので、選挙のためだけの何か特別の事をすべきでなく、日頃の活動のままに続けてゆくことが大切であると考え行動しています。

2003年3月21日(金)

 

 祝日なので今日も街頭演説を行おうと、エルシティ前に出かけたところ、人通りが少なかったためにやらずに帰ってしまいました。

 別の用事を済ませて再びエルシティ前に来て、いつも街頭演説を行っている場所の前にある花屋の店員さんに「今日はお客さんの入りはどうだった?」と尋ねたところ、「ヨーカドーがセールをやったので結構賑わっていたよ」とのこと。

 自分が街頭演説を行うことに乗り気ではないと、賑わっていても閑散としているように見えてしまうのかな・・・心の持ち様一つで周りの状態を自分に都合よく捉えてしまうなぁ・・・と大いに反省でした。

 更にその後花屋の女の子が「いつも神谷さんがしゃべっている場所で今日は別の人がやっていたよ。30分位だけれど、スミとか言う名前だったように思う」と教えてくれました。

 「スミ」・・・誰だろう? 自分が怠けてしまったこともあって、なんとんく後味の悪い一日でした。

2003年3月18日(火)

 

 今日もグリンピアの昼市の会場にて街頭演説を行いました。

 街頭演説を行っていると色々な事に気づきます。あたりまえのことかもしれませんが、「人間は暖かくなると明るくなり、口数が増えるということ」を今日改めて感じました。

 今日は比較的暖かだったこともあり、街頭演説している前を通られる沢山の方々から声を掛けていただきました。

 立ち止まって話をしっかり聞いてくださる方も結構あって、非常に充実した街頭演説になりました。

 特に、刈谷駅南口再開発の話の中で、「公共の土地の上には公共施設、民間の土地の上には民間の商業施設や、住宅を建てるのですよ」という話をしたら、「非常に良く判ったわ。こういったことは市民だよりには載ってないものね。市民だよりでもっとお知らせすれば良いのに、結構誤解している人って多いと思うわよ。」と言われました。

 「やはり市民だよりに掲載するには少し難しい問題だと思います。市民だよりでお伝えできない中身の話や、事業のプロセスの話を市民の皆様にきちんと情報公開としてお伝えして行くのは、我々議員の務めなのだと思います。」そうお答えしました。

 私の街頭演説も、目標である『まちの風景になる』ことに少しは近づけたでしょうか?????((⌒▽⌒))

2003年3月16日(日)

 

 いつもの日曜日同様、朝5時からは重原市民館にて「朝起き会」に出席。その後、桜区ウォーキング同好会の皆様と、約1時間、4kmのウォーキング。少し暖かくなって来たせいか、参加者が若干増えてきました。

 ここまでは予定どうりでしたが、街頭演説は雨のため中止となってしまいました。

 そこで、遅くなっていた『後援会の入会案内(リーフ)』の製作準備に取り掛かりました。私としては必ず入れて欲しい文言を整理しておいて、デザインやイメージ、写真のレイアウトなどについては、スタッフの皆さんの私より遥かに高いセンスの良さにお任せするつもりです。

 時間の合間をぬって、勤労福祉センターで行われた、子供達のピアノ発表会を見に行きました。3人の子供達すべて間違えたところもなく(私がそう思っただけかな?)、まずまずの出来でした。

 夕方からは、御霊神社氏子総代さんの一年間の反省会が行われそちらに出席しました。氏子総代の任期は2年ですので、今回約半数の方が入れ替わりとなります。今年で終わられる皆様には、本当にお疲れ様でした。

2003年3月14日(金)

 

 都市開発特別委員会が開催されました。

 南口再開発の件で、「新年度建設が予定されている国の合同庁舎は、環境配慮型官庁施設と位置付けられていて、二酸化炭素排出量の削減を図るために、太陽光発電・屋上緑化等、環境負荷低減技術を積極的に活用した庁舎になるとのことですが、この南口再開発の公益施設についてはどうか?」という質問をさせていただきました。

 答弁はもちろん前向きなものでしたが、続けて「その他の商業施設、住宅についてはどうか?」との質問をさせていただきました。

 今回の南口開発の組み立ては、民間の土地の上には民間の建物を、公共の土地の上には公共施設をというものですので、権利関係の上では責任の所在がはっきりしていて良いのですが、今回の環境負荷低減技術のように、商業施設において費用負担が発生するものを行政側が簡単に「はいやります!」ということが言えない部分があります。したがって答弁も「必ずやる」と断言した言い方でなく、非常に歯切れの悪いものでした。まあそれもしかたのないことだとは思います。

 しかし、5.7haが一体的な整備として行われる以上、全国に誇れるような統一した『味付け(特徴)』にすべきで、そのための補助については、たとえ民間の部分であっても投入してもよいのではないかと思います。

2003年3月12日(水)

 

 私が副委員長を務めます建設水道委員会が行われました。

 その後に行われた、予算審査特別委員会の建設水道分科会において、「昨年1300万円付いていた、刈谷街道関係の予算が15年度なくなっているのはなぜか?」という質問をさせていただきました。

 「刈谷市内にはJRがらみの工事が沢山あり順次行ってゆく。平成16年度には工事に掛かれるようJRと打ち合わせをしている。」という答弁でした。

 私も毎週アピタでの街頭演説の際に、あの踏切を通っていますが、遮断時間が長く、踏み切りが開いている短い間に、車・人・自転車が多数行き交い、非常に危険な状態であるので、一刻も早い拡幅工事のスタートをお願いしました。

2003年3月11日(火)

 

 今日の中日新聞県内版『ペーパーナイフ』欄に、安城市長の市議会での答弁に対する記者の考えが掲載されていました。

 選挙戦では若さを前面に、街のつじつじに立ち、市政への思いを熱く訴えた。選挙後「人の心を動かしたのは、気迫を込めた演説だった」と振り返った新市長が、先日の代表質問の答弁では、起立したまま、原稿を胸の位置に持って読み始め、ほとんど前を見ずに、黙々と原稿の文字を追い続けた、その答弁には心は動かなかった。

 というものです。私も偶然KATCHを見たらそのシーンでした。記者と同様の気持になり「がくさん何これは!」と思わず一人で叫んでしまいました。

 真面目な性格のがくさんのことです、答弁漏れや不用意な発言を心配してのあの姿だと思います。逆にあれほどまでに慎重にならざる得ないほどのプレッシャーの毎日なのだと思います。

 我々質問する側は入念な調査の上に、その項目だけに絞って追求すればよいのですが、受けての当局側はあらゆる分野に渡って、間違いなく答えてゆかねばならないわけですから、初めての者にとってはかなりの重圧だと思います。

 しかし、プレッシャーにも馴れ心のゆとりが出来れば必ず、堂々とご自身の思いを語ってくださるものと信じて、隣町からではありますが、変わらぬ声援を送って行きたいと思います。

 がくさん、がんばれ!!

2003年3月9日(日)

 

 刈谷総合運動公園において 消防団観閲式が行われました。

 テントを揺らす強い風の中での実施ということで、参加された消防団員の皆様にとっては、大変厳しい観閲式であったと思います。次の予定が入っていたために、終了10分ほど前には退席させていただきました。

 そして、アイリスホールで行われている『新飛翔連盟の芸能祭』に、今年は市長さんや文化協会会長の神谷さん、蜂須賀市議、酒井元市議も来賓として舞台に登ったため、舞台上での私からの挨拶はなくなりました。

 毎年このアイリスホールの舞台上でマイクを握ると、ものすごく緊張してしまい、マイクを投げ出して今にも逃げ出したい気持になるのですが、さすがに今日は挨拶なしということで、リラックスして「会場にはどなたが来て見えるか」落ち着いて見渡す余裕がありました。

  街頭でマイクを握ってもあがらずにできるのですが、舞台の上というのは妙に意識をしてしまうせいかどうも苦手です。

 堂々とカラオケを歌ってみえる方を尊敬します(^o^)

2003年3月7日(金)

 

 雁が音中学校の卒業式に出席しました。

 議員になって以来毎年出席させていただいていますが、毎回感動的で、この式に出席することを楽しみにしています。

 今年の卒業生は部活動において大活躍だったらしく、そんなせいなのでしょうか、学年全体がものすごくまとまっているような感じを受けました。

 全員で卒業の歌や校歌を歌っている時、これまでになく大勢の子が涙していました。また、これまでになく大きな声での大合唱で学校全体がひとつになったような気がしました。

 今年で定年退職される長谷校長にとっても、最後の卒業式ということで感慨も一入のことと思います。雁が音中学校21年の歴史の内、半分の11年間勤務されたとのこと、本当にご苦労様でした。

 雨に濡れながら帰った後は、次回発行のコロンブスレポートの原稿書きを行いました。今回は3月議会の内容を掲載します。3月議会といえば新年度予算についての記事ということで、毎回同じようなパターンでの編集になってしまいますが、それが一番お知らせしたいことであり、基本どうりの編集にすることとします。

 半分ほど原稿書きを終えることができました。このところ目に見える形での仕事の成果が余りなかったので少し焦っていたのですが、こうして一歩でも前に進み始めると心が落ち着くものです。

2003年3月6日(木)

 

 昨日KATCHの放送で、私の行った3月議会質問質疑の様子を見てみました。

 改めて見てみると色々な反省点があるものです。特に、少人数学級についてふれた最後の所で、大事な一文を抜かしてしまったため私の主張が少しわかり難くなってしまいました。この場を使って補っておきますと・・・・

 学校教育の目的は大きく分けて2つあると思います。1つは学力の向上、もう1つは集団における社会性を養うこと。最近よく言われる『生きる力を育む』ということも、2つめの社会性を養うことの一つだと思います。少人数授業または少人数学級は、学力の向上のためには良い手法であると思いますが、少人数学級を行うことにより、2つめの社会性を養うという目的達成に支障が生じると思います。したがって、クラスの人数は今のままにしておいて、学力向上の為に必要な教科ごとに少人数授業で対応するやり方が私は一番良いと思います。」

 このHPも最近市役所の方が結構見ていてくださるようです。この日記を教育長さん・教育部長さんが読んでくださるとありがたいなぁ (o^∇^o)ノ

2003年3月4日(火)

 

 刈谷市議会3月定例会質問質疑トップバッターとして、約45分間3項目の質問が無事終わりました。

 今日は婦人会の皆さんが30名ほど傍聴に来てみえたので、「普段よりも緊張するかな?」と思っていたのですが、むしろこれまでよりリラックスして行うことができました。これまで市政報告会を始め、色々な場で市民の皆さんに語っていた内容であったため、リラックスして行うことが出来たのかなと思っています。

 自分の番が終了した後は、他の議員の質問をじっくり聞くことが出来ました。

 他の議員の質問を聞いていると、私の質問はまだまだ問題点の捉え方が甘いことを感じます。もう少し鋭く切り込んで行かねば・・・というのが今日の反省点です。

2003年3月2日(日)

 

 昨日の雨から一転してぽかぽか陽気の晴天に! この時期は天候が毎日のようにめまぐるしく変わります。

 朝5時からの朝起き会に出席し、演談をさせていただきました。「子の親である前に、親の子であれ」の言葉を引用して、「子供として親に孝行すれば、その後姿を見て育った自分の子供も良い子に育つ」といった内容です。

 中1の長女が学年末テスト週間のため、少しだけ勉強を見てやりました。 が・・・・・(^o^)))))43歳ともなると、さすがに記憶力が低下してくることを今日は実感しました。

 その後恒例の街頭演説、今日も4日に行う質問質疑の内容を中心に話をしました。エルシティで約1時間行った後、アピタ前に移動したのですが、エルシティに比べて閑散とした状態だったので、再びエルシティ前に戻ってきて行いました。強風のためマイクが風の音を拾ってしまい非常に苦労しました。

 天気も良く、風もなく、お客様も多く、話す内容も沢山ある・・・全ての条件が整って物事を行うことは難しいものです。

2003年3月1日(土)

 

 今日から3月の始まりです。残念ながら今日はあいにくの雨となってしまいました。

 予定していた街頭演説も行うことができずに、3月議会質問質疑の原稿の最終的なチェックをしました。街頭演説を行うことができれば、原稿のチェックがより実践的な形で出来るのですが残念です。

 私の後援会事務所には、『今日のひとこと(教訓)』のようなことが書かれた日めくりが掛かっています。

 1日の『ひとこと』は「偉ぶるは馬鹿のはじまり」となっています。

 一般質問も、ややもすると当局に対して偉そうな態度で臨みがちでありますが、行政運営に対しては私よりもはるかに知識も経験もある方に対して、質問・問題提起・意見・提案をするわけでありますので、あまり偉そうにすることなく、あくまで「行政のプロではない市民の目線で見た問題提起や質問」を行ってゆかなければならない・・・という戒めの意味が込められた『今日のひとこと』であると捉えています。


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